魔女の宅急便

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[ E-3 Zuiko Digital 14-54mm F2.8-3.5 ]

魔女の宅急便と言えば、宮崎駿ジブリの長編映画「魔女の宅急便 [DVD]」ですが、HALがお気に入りで何度も見ているうちに、原作を読んでみたいということになり、嫁が絵本と一緒に1~4巻を図書館から借りてきてくれました。

最初は映画のイメージで読んでいたのですが、けっこう違う部分があります。で、映画の方は、原作のモチーフを丁寧に受け継ぎながらも、構成、脚本、演出で大胆なオリジナリティを発揮していたんだと感心しました。ほんとうに、映画は良く作られていることが判りました。

で、映画を見ちゃえば、原作は必要ないか?
これもとんでもない間違いで、原作は原作で、素晴らしいです。スゴいです。面白いです。
映画では語りきれない、広く深い、そしてスリリングで引きつけられる、物語世界があります。
子供はもちろん、大人でも楽しいですよ~。オススメ!

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魔女の宅急便(福音館創作童話シリーズ) (単行本)
角野 栄子 (著), 林 明子 (イラスト)

ひとり立ちした魔女の子キキが、新しい町ではじめた商売は?相棒の黒猫ジジと喜び悲しみを共にしながら、町の人たちに受け入れられるようになるまでの1年をさわやかに描いた物語。

13歳から14歳のキキの物語。1冊1年なのでハリーポッター式です。
エピソードは違うものの、映画のように、お届け物を通じて色んな人に出会い、成長していく、連作短編集です。
小気味よく1話ごとに話がまとまっていて読みやすいです。まあ、児童書ですからね。
自分の出来ることを精一杯やりながら、それでも、他人と自分を比べていじけてみたり、気になる人のことを気にしすぎてイライラしたり、それが仕事にも出て失敗したり。
そうして自分の居場所を作っていくキキの姿を、ハラハラどきどきで見守ってしまう感じでしたね。

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魔女の宅急便〈その2〉キキと新しい魔法 (福音館創作童話シリーズ) (単行本)
角野 栄子 (著), 広野 多珂子 (イラスト)

魔女のキキと相棒の黒猫ジジの宅急便屋さんは2年めをむかえ町の人にもすっかりおなじみになりました。そんなキキに大問題がもちあがり、キキは魔女をやめようか、と悩みます……。

14歳から15歳のキキ。2年目に入り、仕事も機転を利かせてこなせるようになり、街の人達に頼りにされています。物語も、より軽快で調子に乗ってきます。
でも中盤から、少しトーンがかわってきます。
お届け物に込められた、より深い想いを知るようになる一方、調子に乗りすぎの慢心も忍び寄る。
自分にないモノを持つ他人をうらやましがり、自分を見失ったり。
空を飛べるという「特技」の背面には、魔女という「マイノリティの生き方」があり、人びとの偏見に直面していく厳しさがある。なぜ、魔女の服は黒なのか。古いしきたりだけではない、重い意味。
たった1つの、でも当たり前のようにあった「特技」にも、自信を失わせる疑念がわいてしまう。
所与のモノとしての「特技」と「マイノリティの生き方」
これは、魔法というファンタジーを別にしても、実生活に感じられる普遍的なものだと思う。
人種・種族という意味でなく、人、その存在が本質的に唯一無二なマイノリティであり、特に思春期では、たった一人の自分として、他人とぶつかっていくことを実感してしまうものだと。
そこに「特技」が、特技なんてない子の方が多いが、例えば親がお金持ちだとか、器量が良いとか、人に自慢できるモノがあっても、それがほんとうに自慢できるモノなのか?自分そのものの価値になるのか?そんなことも、気付かされる時期が来る。

小さな女の子、と言うイメージで読んでいたけど、現実ならもう中学3年生。子供じゃないですね。
エピソードも、深遠な余韻を残す、セツナイ話しがあります。
子供子供、って回りが(親が)(その読者や登場人物のキキを)思っていても、こういう話しを理解する年頃なんだなぁ。としみじみ。

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魔女の宅急便〈その3〉キキともうひとりの魔女 (福音館創作童話シリーズ) (単行本)
角野 栄子 (著), 佐竹 美保 (イラスト)

待望の「魔女の宅急便」のシリーズ第三作です。魔女のキキがコリコの町に住むようになって、4回目の春がめぐってきました。キキは16歳になりました。そのもとへケケという12歳の女の子が転がりこんできます。ケケはふしぎな力をつかって宅急便の仕事を横取りしたり、とんぼさんとのデートに偶然いあわせたりして、キキをとまどわせます。 自由奔放で小生意気なケケにふりまわされながら、キキもすこしずつ変わっていきます。二作目でつくりはじめたくすりぐさを育てる様子も今回は随所にでてきます。もうひとつ「おわりのとびら」というあずかりものの本も今回は重要な役目を果たします。 ふたりが反発しあいながらも、自分にとって大切な何かをもとめて成長していく姿がさわやかに描かれています。さし絵は佐竹美保さんです。

ところで、このシリーズ、イラストレーターが毎回違います。物語世界を確固たるモノにするために、画風を固定するものかと思っていたので、「エッ?」と思ったものですが。
これがね~。良いんですよ。画風が変化することで、主人公の人格や世界観の成長が表現されてるんですよね。スゴい仕掛けだなと驚きました。
そんなわけで、キキは16歳に。僕らの世界では高校生。
小説の構成としては、連作短編という形態が続いていますが、これは立派な長編小説です。そして児童書ではなく、青春小説と言っても良いでしょう。
謎の少女ケケという強烈な他者の出現によって、キキは自分の居場所を失い、自分をも失っていく。
ケケとは何者なのか、何が目的なのか。そして得体の知れない古書「おわりのとびら」とは?
どこか不気味で、空恐ろしい、ミステリアスな展開で、どんどん引き込まれていきます。
過剰に他者に反応し、他者から見える自分像に執着し、自分が見えなくなる時期。誰にも相談できず一人で苦しむしかない。
何がほんとうに大切なのか、それが判ったとき、はじめて自分と他者をありのままに見ることが出来るようになる。

僕は、ずいぶん大人になってからやっと判ったこと。HALにはキキと同じように、高校時代にこの壁を越えて欲しいな。

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魔女の宅急便〈その4〉キキの恋 (福音館創作童話シリーズ) (単行本)
角野 栄子 (著), 佐竹 美保 (イラスト)

内容(「BOOK」データベースより)

とんぼさんがかえってくる!ふたりでむかえる夏休み。キキの胸はたのしい計画でいっぱいになりました。そこに送られてきた一通の手紙。その意味は…さあ、本の扉をあけて、キキといっしょに17歳の夏の空を飛んでください。

17歳のキキ。恋する乙女。気になるあの人は、遠い街の学校へ進学。
大人ぶって判った風に言えば、それぞれが自分を高め、その結果として関係性を深める物語。
自分で自分の外に出て行くのは、簡単な事じゃないけど。
そうしたテーマを読む一方、僕はこの巻で、リアルなファンタジーを見ました。
まず、最初からこの物語は「魔女」が主人公なファンタジーそのものなのですが、そういうことを置いておいて、現実社会そのものにもファンタジーはあるんだと思うのです。
知らないこと、知らない事象はたくさんあるわけで、それを知ったかぶって「これはこれ」って(中途半端な)類推や演繹で判断するようになるのが、ある意味、社会への適応なんだと思うけど。
知らないこと見えないことに対する、漠然とした恐怖、不安を素直に感じることは、忘れちゃいけない。畏怖の念は、人を謙虚にしてくれる。そこに得体の知れない何かを感じること。ファンタジーは(ファンタジーに対して失礼な気がするけど)、実際的な生きていくためのツールにすらなると思うのです。
僕も「とんぼさん」のように、たった一人でテント背負って、飛行機乗り継いで屋久島の山に入ったっけ。初めての一人旅で、初めての単独テント泊で、初めての単独登山。(社会人になってからだけど)
周囲何キロにもわたって誰一人いない状況で、夕暮れは漠然としたまま冷たい霧に包まれ、真っ黒な夜が被さってくる。「夜のとばり」とは良く言ったものだなと思った。そして全身が総毛立ち、かすかな物音に脅びえる。
4巻の物語の中心に暗い森が据えられているのだけど、体験してるだけにスゴく良く判るし、リアルなんです。リアルなファンタジーなのです。

僕は科学を信じます。モノを冷静に見るための1つの手段として。
でも、科学とファンタジーは相反するものではないと思っている。得体の知れないモノがあると感じるところから、科学は始まるのだし、科学は常に不完全だからこそ、照らし出すことの出来ない闇が常にどこかにある。
僕は万物に神は宿ると思っている。日本古来の八百万の神ってところかな。そんな神様に個人的な現世利益を願っても意味ないと思う。人間の思考とはまったく異なる次元の意志を持つ、何を考えているか判らない、不気味な存在だと思う。そういうとそれを「神」と表現する必要はないのだけど。魔物でも良いし、精霊でも良いし、「もののけ姫」風に言えば木霊でもいいか。「その得体の知れないもの」の恐ろしさに畏怖し、脅びえる。そんな「その得体の知れないもの」の住む山に入るときは、恐る恐る胸の中で、「スミマセン、御邪魔します。悪いことしませんので、どうか通して下さいな」と手を合わせてしまう。
この感覚は、生きていくために必要なんだと思う。そうした意識が人びとの共通感覚としてあるときに、人びとの行動を自ずと律した「社会」を作り出せるのだと思う。

ああ、ディズニーランドのファンタジーに違和感を感じるのは、ここか!
書いていて気がついた。不気味さ、恐ろしさがないんだ。楽しさだけを追求している。広がりがない。

畏怖は、人をその外側へと動かすことが出来る。
歩みが始まり、好奇心が沸き起こり、科学が始まる。
僕は山歩きが面白くなるに連れて、植物の科学的な本を読むようになりました。
知れば知るほど、判らないことが増えてくる。植物の生命力、生き方、個性、植物層が動物相と共に作り上げる社会=生態系。ただただ、すごいな!と思わされる。
この物語のラストの章は、ほんとうに心を震わされました。

子供達には、ファンタジーを読んで欲しい。

そして、大人も判ったフリしてないで、たまにはファンタジーを読んだ方が良い。

5巻、6巻、読むのが楽しみです。


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