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写真の訓練と御宿かわせみ

僕が目指す写真は「表現したい内容が、見る人にちゃんと伝わるもの」です。
スゴくおおざっぱに言えば、商品などの「物撮り」というものに近いのかもしれない。大きいのか小さいのか、 柔らかいのか固いのか、「それが何か」という内容が見る人に明確に伝わってはじめて成功。

で、何を伝えたいかとなると、それはまたスゴくおおざっぱに言うと、「自分」ということになります。まあ、 自分が感じたことや考えたこと、自分が人に言いたいこと、などが「表現したい内容」ということになりますね。

写真は真実を写すもの、とはサラサラ考えていません。伝えるためには演出もありだと思うし、それも表現技術だと思うので、 試行錯誤しながらそうしたノウハウを身につけたいと考えています。

しかしその前に、愕然と直面した事実が。

P5092528b
[ E-1 OM Zuiko 24mm ]

(本がたくさん!、ってことを表現したくてこの構成にしてみました)

なんと、表現したい自分がない。

いつからこんなになってしまったんでしょう。感性は麻痺しちゃってるし、思考はステレオタイプになってるし。 もともと大したセンスもオリジナリティがあったわけじゃないけど、あまりにつまらなすぎる。

で、感性の方は先ず、なるべく色んな写真を意識して見るようにして、ほこりを払おうとしています。写真に限らずなんでもかんでも、 特にビジュアルを意識して感じなくては。

思考の方は、本をたくさん読むようにしました。ボキャブラリィ、語彙の豊富さは思考力に大いに影響すると思います。 言葉はいわば思考の道具。器用な人ならモンキースパナひとつでで自転車一台ばらせるけど、 大小のスパナがそろっている方が分解も組み立ても効率良い。 ナットの角を削ってしまって回せなくなりそこで思考停止ししてしまう可能性も減らせる。先に進みやすい。

僕はもともと本の虫でした。若くてピチピチしていた頃は、テレビを見てる時間なんか1週間で計2時間程度。 休日といったら神田の古本屋街で過ごすのが日課。お金がなかったから新刊1冊買うより、古本でも5冊欲しかった。
これで記憶力が人並みにあったら、かなり博識になったでしょう。でも小学校に上がってすぐに自覚したのが、覚えの悪さ。 みーんな忘れてしまいます。

結婚して本から離れがちになったのが悪かった。みるみる脳が緩んでいく。 でも本が苦手でテレビ大好きの嫁をもらった割りに幸運だったのが、嫁の友達に本好きがけっこういること。

時代小説なんて興味なかったのですが、数年前にたまたま嫁の友達に借りてハマったのが、平岩弓枝の「御宿かわせみ」
新刊も手に入れたので、また貸してもらって一気に読み返してみることに。

途中抜けていた巻があったので、BOOK-OFF で仕入れてきました。

P5092493b
[ E-1 OM Zuiko 24mm ]

この作品を気に入ってるところは、日本語がきれいなところ。 難しい言葉がほとんどないすごくシンプルな文章で読みやすく、それでいて情感がたっぷり。いざ主人公が剣を抜けば、鋭い緊迫感もあるのに。

もう一つは江戸の情景。ちょうど山歩きしていた頃に薦められたので、 四季折々の樹木の描写が物語の起伏になっているところが、自然というものに開眼した自分にヒットしました。 自然というものと都市生活が融合している江戸の情景にあこがれます。

ビジュアルな写真の為に、文字だけの本を読むのもどうかとも思われますが、今の僕には痛切に必要と感じています。
というか、読み出したら止まらない!二日間寝てないです(笑)

そんなわけで、今まで通り過ぎていただけのところでも写真を撮ってみることに。
古隅田川の名残が近所にあるのです。隅田川が江戸湾に近くなるところが大川と呼ばれ、大川端にある一件宿が「御宿かわせみ」

P5092478b
[ E-1 OM Zuiko 24mm ]

コメント:7

武器商人 06-05-09 (火) 21:24

>隅田川が江戸湾に近くなるところが大川と呼ばれ、大川端にある一件宿が「御宿かわせみ」
 上記はちょっと違いますねぇ。
 現在の吾妻橋はその昔「大川橋」と呼ばれていました。これは落語の「文七元結」や「唐茄子屋政談」にも出てきます。
 そう考えると(落語や歌舞伎では)、浅草付近から下流を大川と言うのが普通でしょう。
 ちなみに現在の桜橋あたり(昔の新吉原)あたりは、宮戸川と言うようです。
 千住宿(現日光街道に架かる千住大橋)あたりはなんと言われていたかは不明である。

引用

nosaku 06-05-10 (水) 16:30

武器商人さん、ありがとうございます!
うろ覚えでなんとなく書いちゃいました。

引用

武器商人 06-05-10 (水) 20:13

 平岩弓枝が出ていたのでもう一つ。
 実は人情話の落語の脚本を書いています。
 八代目林家正蔵(彦六の正蔵)が平岩弓枝原作の「笠と赤い風車」という噺をやっていました。
 ほかにもあるかもしれません。

引用

HEAYAN 06-05-11 (木) 10:41

> 表現したい内容が、見る人にちゃんと伝わるもの
物撮りは『商品の形状、質感、長所、特徴』を伝える為の写真なのでカメラマンの私見は限りなく抑制する方向にあります。
場合によっては短所を目立たなくする事もあるくらいで、あくまでも『お客さん第一主義』です。
物撮りがカタログの説明用写真であるのに対して表紙にはピンボケや極端なライティングをした写真を使う事があります。
NOSAKUの目指している写真はそっちを向いているのでしょう。
『アバタ』をそのまま目立たせるのも『有り』だし、『エクボ』に見せるのも『有り』、ライティングですっ飛ばすのも『有り』と、表現の幅は広いと言えます。
>写真は真実を写すもの、とはサラサラ考えていません。
それは同感です。
私は究極的な写真は『念写』だと思っているくらいで、脳に残る記憶を焼き付ける作業だと思っています。
故に画角や露出には常に気を配るのですが、絵画と違って『意図しない物』や『気が付かなかった物』が写る事があります。
後日それに気が付いたときに『失敗写真』になる場合もありますが、『ブロック塀の上の猫』や『軒先の植木鉢』が写真に思いもしない厚みを持たせる事があります。
著名な写真家曰く
『それは鬼が撮らせたのだ』と、言ったとか・・・

引用

nosaku 06-05-11 (木) 15:45

武器商人さん>
落語のうんちくありがとうございます(笑)
Heayanさん>
物撮りの説明ありがとうございます。
鬼が撮らせた、って言う写真をものにしてみたいですね。その前に、自分が撮った、というのをちゃんとやりたいです(笑)

引用

宣教師 06-05-11 (木) 22:47

韓国語で写真を「撮る」を表現するとき、「jjig-da」という動詞を使う。この動詞は、判子を「押す」とか、キュウリにマヨネーズを「付ける」という場合にも用いられる。日本語では三種類の意味としてとらえられるこの動詞だが、よく考え見ると、写真を「撮る」というというのは、その時の映像をフィルムや印画紙に固定化させる。
紙に判子を突くのも、マヨネーズ塗るのも、映像を焼き付けるのも、共通の動作イメージだから一つの動詞で表現するという訳か。
自分も常にデジカメを持ち歩いていて、ちょっとでも気になったらシャッターを押す。nosakuさんみたいに、被写体を浮き上がらせるような技術も無いし、そういう特性のカメラも持っていない。何から何までピントが合っている写真は味気ないとは思うけど脚色されていない「記録としての写真」としては逆にリアリティーを感じるような気もする。
※ 管理者にだけ表示を許可するをチェックしたら、投稿者の自分でも消せないんですね。ちょっとした実験だったので、けしてください。お手数おかけします。それと、トラックバック受け付けていないみたいですね。
http://blog.kaayan.moo.jp/?eid=265201

引用

nosaku 06-05-12 (金) 20:18

宣教師さん>
韓国語の話しありがとうございます!
TBは受け付けるようになってるけど、ダメですか?あれー?
誰かテストTB お願いします~。

引用

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