アンブロークン アロー -戦闘妖精・雪風-

P9305083s
[ E-3 Zuiko Digital 50-200mm F2.8-3.5 SWD ]

10年も経って、戦闘妖精・雪風の第3巻が出ていたとは!
即買いです。この作家、この作品には、読まない、と言う選択肢はない。僕にとっては。
10年の時空を超えて、飛び続けていた、雪風。今、会いに行く。

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アンブロークン アロー -戦闘妖精・雪風- 著:神林長平

地球のジャーナリスト、リン・ジャクスンに届いた手紙は、ジャムと結託してFAFを支配したというロンバート大佐からの、人類に対する宣戦布告だった。ついに開始されたジャムの総攻撃のなかで、FAFと特殊戦、そして深井零と雪風を待ち受ける、思いもよらない苛酷な現実とは―。

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戦闘妖精・雪風 著:神林長平

南極大陸に突如出現した超空間通路によって、地球への侵攻を開始した未知の異星体「ジャム」。反撃を開始した人類は、「通路」の彼方に存在する惑星フェアリイに実戦組織FAFを派遣した。戦術戦闘電子偵察機・雪風とともに、孤独な戦いを続ける特殊戦の深井零。その任務は、味方を犠牲にしてでも敵の情報を持ち帰るという非情かつ冷徹なものだった―。発表から20年、緻密な加筆訂正と新解説・新装幀でおくる改訂新版。

一作目を読んだのは、高校生の時。wikiによると1984年に文庫化と言うから、その数年後かな。
古本屋通いで、100円か50円で買いました。それだけ安いので、カバーなんか無し。
活字だけで、フェアリー星の空に雪風を飛ばしたあの興奮。
ドッグファイトのためだけにあるような状況設定に、しびれましたね~!

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グッドラック -戦闘妖精・雪風- 著:神林長平

突如、地球への侵攻を開始した未知の異星体ジャム。これに対峙すべく人類は実戦組織FAFをフェアリイ星に派遣、特殊戦第五飛行戦隊に所属する深井零もまた、戦術戦闘電子偵察機・雪風とともに熾烈な戦闘の日々を送っていた。だが、作戦行動中に被弾した雪風は、零を機外へと射出、自己のデータを最新鋭機へと転送する―もはや人間は必要ないと判断したかのように。人間と機械の相克を極限まで追求したシリーズ第2作。

一作目の完成度が高すぎたので、続きがでるとは思いもよらず、二作目が出たときもビックリしましたね。
ここで、雪風と主人公の関係が変化(解明?)していき、物語としても、情報軍大佐ロンバートやジャム人間の出現で、複雑になっていきます。
パワーアップした雪風は楽しいけど、このロンバートやジャム人間の登場は、なんだか受け付けられない、不愉快感を感じました。
戦闘機のことだけ考えて飛んでればいい、その純粋な空間に発生したノイズのように思えたのですね。
そんな一読者を置いていくように物語は進む。壮絶な最終決戦へと突入し、到底勝目がありそうもない空に、成長した主人公は、すっきりと晴れたような信念をもって飛びだつ。

テーマ的に絶対に理解できない存在が「敵」なだけに、物語の結末として、どんな形であれ「敵」が解明されるのは、たとえそれが「びっくり」なものでも、どこか違う気がしてしまう。
また、戦い続けることが雪風の存在意義なだけに、この戦いに勝つことはゴールではない。むろん負けることはチープな悲劇みたいで、これもこの小説のゴールになり得ない。
終わることが許されない物語だから、二作目のラストは、読者としてはすっきり晴れわたるとは言えないけど、これしかないなと、思えました。
これが、永遠に続く終焉なのだと。

そう思っていたからこそ、10年たって続編が出てきたことに、ヒドく驚いたのです。
実際には2006年からSFマガジンに不定期連載で飛んでいたわけで、「10年」に特別な意味は無いけど。
そして物語としても、時間なんか意味ないし(笑) 気にすべきは事の順序ぐらいで。
だから、前二巻は必ず読んでから入らないと、まったく話は分からないです。

この三作目は、前作のラストシーンからの直接の続きです。
戦況は悪いなりにも沈着化しつつあるとき、主人公深井零は、敵ジャム機を捕獲しようと試みる。
そこから物語は、大きくうねる。
でも、ドッグファイトは前作に比べると極端に減ります。にもかかわらず、雪風は常に戦闘モード、作戦行動中。
戦いの構造がまったく変わってしまったのです。
いわば、それは、哲学による戦い。

登場人物達の思索的な独白、討論が延々と続く。
むろん、敵=ジャムと、それに対峙する人間=自分、をめぐる話しなのですが、哲学的な文学書を読んでるようです。
この辺で飽きてきて、作者はどうしちゃったの?って思う人がいるかもしれません。
神林長平ファンなら、そんなことは決してないですけど。
この人は、小説そのもの、「紙に活字が印刷してあって、読者がそれを目で追って読んでいる」ということすら、物語の一部にしてしまう人です。
雪風という、これまた人間とはかけ離れ理解できない存在が、ジャムと闘うために、どんな作戦行動をしているのか。
という部分に収斂していくトリックは鳥肌ものです。
雪風が零をドライブ=操縦する。これは、またドッグファイトと違った興奮がありまたね。

「わたし」とは何か?
「他者」とは「わたし」が認識したところに存在(生成)されるのか?
それとも「絶対的な他者の存在」を「わたし」が感じ取るのか?「わたし」は「わたし」を理解できないのに?
といった、まさに哲学問答が続きますが、
フッサールの現象学的還元を、僕は基本OSにしているので、わりとすっきり読んでいける。
なによりも、雪風にブレがないので、零も安定していて、議論は込み入ることがない。
「わたし」とは、今僕が認識しちゃってる「わたし」であって、認識していない「もっと他にあるだろうわたし」はとりあえずエポケー=棚上げしちゃってOK。世界や他者についてもそう。
それが存在するか否かに限らず、認識しちゃっているものに対して、対処=立ち向かっていかなければならない。それが生である。って感じかな。大ざっぱすぎるけど、僕はそう考えるようになって、実生活においての行動指針が立てやすくなったので。

その「認識」を当座の足場にし、他者との対話することで(他者が存在せず独り言であっても、他者がいると認識しているなら)、認識の枠を広げ、エンドポイントをより明確化し、より精度の高い行動指針を立て、より精度の高い作業が出来るようになる。
哲学は、実際的なツールであり、戦闘においては兵器にすらなる。
雪風が提案する「会議」は、まさに戦闘行動であり、兵器であり、これを描写するために張り巡らしたトリックが、すごい!

まあ、作者は、物語は、もっと奥深いものを秘めているのかもしれないけど、一読目はそんな感じにスルスルと読んでしまいました。
これが、一作目の高校時代なら、まったくちがって、混乱していたと思う。
社会生活に入ってから何年も経って、全てを捨て去る気持ちで(自殺とは似て非なる心境で)世界の果て(といってもインド西部のタール砂漠でして、その先にも世界は周回しているのだけど)にいって、自分をリセットした日。
誰も僕の名前も知らない。どこで産まれどこに住んでいたかも知らない。(それを追跡できないように、偽名偽住所を使って旅してきたのだから) しがらみも過去も存在しない、ただそこにいるだけの、名もない存在。
そして、この砂漠に一人で踏み出していけば、その肉体をも消滅させられる。
ゼロ、寸前。
そこから僕は、自分で自分を構築し始めた。
若いときは、自分がなんなのか判らないという。自分を探す。
探したって見つからない。自分という実態なんて無いんだから。
自分は、自分で作っていくものなのだ。
むろんハードウェアや環境という所与のものがある。「認識」しているそこから始め、自分を作っていくしかない。
無いものは探せない。創って生み出していった方が、実際問題として、早い。
人に認められたいなら、認められる要素を作る。それは能力であったり作品であったり、行動であったり。
そんなものは、出現していない以上、認識されていない以上、存在しないので探したって無いわけだ。
だから、作る。

そんな感じで、今僕は、安定している。完成されているという意味では、もちろん無い。どんどん変わることもあるだろうけど、変わっちゃったて、変わらない確固たる自分を感じる。
砂漠のただ中に立ったときに、残ったもの。砂漠を求めて、「来た」という自分。
バカで、早とちりで、無思慮で、調子者で、保守的で、他人に依存傾向が強くて、自罰的で、情にもろくて、視野が狭くて、凝り性で、でも習慣を持ち得ない飽きっぽさがあり、破壊衝動があり、恐がりで、出不精で、でも同じ所にいられない性分で、人間嫌いで、孤独で、寂しがり屋で、役立たずで、怠け者で……。
そして、何かを作っていることが、好き。

安定しちゃっているというのは、年取った言い訳で、若い者からすれば小さくまとまっちゃったって事か?(もう、おじさんって呼ばれちゃう年頃なんだよな-)
それこそドクサ=憶推や、固定概念にまみれてしまったと言うことか?
それも大いにあると思う。それも自分なのだ。
それが問題になるなら、問題として認識されたなら、対応を検討する。
試行錯誤して、解決を求める。
「自分」のバグフィックスス・バージョンアップ、と言うわけ。

まだまだ、雪風と飛んでいたいね。

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