ドーン with 三郷公園 & 夏休みの宿題(読書感想文)

陽射しの強い三郷公園で遊ぶ。ドーンを読み終えた翌日。

明日人は、言葉もなく、ただその様子を見つめていた。そして、徐にポケットからケータイを取り出すと、二人の姿をモニターに収めてシャッターを押した。

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ドーン

ドーン平野 啓一郎
2033年、人類で初めて火星に降り立った
宇宙飛行士・佐野明日人。
しかし、宇宙船「DAWN」の中では
ある事件が起きていた。
世界的英雄となった明日人を巻き込む
人類史を揺るがす秘密とは?
愛はやり直せる

面白い本でした。買いです。すぐにクリックしてポチって下さい。
最初は大好物のSFかと思って読んでいたのですが、火星から帰還して1年後の、アメリカ大統領選のエピソードを中心に話が進んでいくようで、そういう政治話が苦手で興味なかっただけに、戸惑いました。
でもそのへんも、読みやすい文体で興味を持続させてくれます。
「”前ブッシュ政権”ってそういうことだったのかな」、とか、「”強いアメリカ”ってこういうメンタリティーで生成されていくのかな」とか、選挙を通して”アメリカ”と”戦争”を語っていく前景に、”日本”という後景が浮かびあがってくる技がすごいのです。
近未来が舞台なだけに、SFの小道具たっぷりですが、語られているのは紛れもなく現代であり、今を生きる人間だと感じました。

人間構図としてはシンプルに、弱い人びと、それでも誠実に生きようとする人びと、イヤなヤツと、言っちゃえばざっくりしてるので、時系列が複雑な割りに、読みやすかったのかな。
もちろん、”構図”としてはざっくりしてるなと感じただけで、登場人物達の陰影は奥深く、その描写も美しい。

Born in the U.S.A.

意外だったのが、SFの小道具としての「分人(ディビジュアル)」と「散影(ディビジュアル)」が、登場人物達の本来なら言葉にならない心情を、言語表現で上手に表す仕掛けになっていたこと。
ジム・キルマーの描写は、最高にすごい!
そこにリンクするカットバック、ブルース・スプリングスティーン!ボーン・イン・ザ・USA!
悲しいけど「クール」です!

そして、主人公の佐野明日人と、その妻、今日子の物語は、その間に、火星探査というあまりにも非日常の出来事があるにもかかわらず、いや、それだからこそ、震災で失った一人息子への想いを中心に巡る夫婦の、静かな文学になっている。

彼らの子供が亡くなったのが、ちょうど今のHALと同じぐらいの時。
独身の頃に読んだら、全然違った感想になったと思う。
最後の章は、ぐっすり眠り惚けているHALの、温かい足を触りながら読み終えました。
触らずにはいられなかったです……。

これからもう一度読み返します。
絡み合う登場人物達の想い・人生。真相を判ったうえで、今一度彼らの言葉を噛みしめてみます。
またこれからが楽しみです!

読書感想文の書き方

さて、アフリエイトで売りたい丸出しで、エントリーを書きましたが、
一つの個人的発見をしました。
何を隠そう、たぶん、これが僕の(けっこう長くなっちゃた人生の)、初めての読書感想文です。
夏休みの宿題で散々悩まされた読書感想文。
僕は子供の頃から、本を読むのは嫌いじゃなかったです。でも読書感想文の宿題は嫌いでした。
ある日気がつきました。読書感想文って言っても、実はほとんどの生徒が”粗筋”を書いてるにすぎないと言う事を。 
「(延々と粗筋を書いて)こうこうこういう話しなので、感動しました」
その子の感想は「感動しました」の6文字だけです。(僕の学校はこれで通った)
僕は、最初の1ページと、背表紙の粗筋、後書だけ見て(読まずに)、感想文を書く技を取得しました。

大人になってから、小中学校の作文を教える授業に、明確な疑問を持つようになりました。
「心の思うままに、自由に書きなさい」
って、何も教えてないじゃん!

それも有りです。心の翼を折ってはいけません。
が、「文章表現」に心の翼を持ってる子供は、ホンのわずかですよ。
心の翼は、誰でも持っています。「文章表現」での翼のことです。

(色々ある中での「言語表現」としての) 翼を生み出し、鍛えてあげなくちゃ!
で、僕は小中学校で株や経済の授業をする事に、すごく抵抗を(やめろよ!って)感じているのですが、
ここは割り切って、マーケティングを含めた「トータルデザイン」として、読書感想文を設定してはどうかと。
つまり、「売る」のか「売らないのか」
授業で事前にターゲットやペルソナを設定しておいて、
その子が読んだ感想に応じて、面白かったらポジティブ or  興味沸かなかったらネガティブのキャンペーンのための文章表現をさせる!
実社会の即した(営業の)、課題にすると言うわけです。

小学校のレベルなら「お友達に読んだ方が良いよと勧めるには?」「読まない方が良いよと説得するには?」って課題ですね。
そこには、当然、”商品としての本のスペック”(イヤな表現)をプレゼンし、
自分ならではの切口(価値観)で説得試みる。
この説得の部分がこそが「感想」=「その子の個性」、を表出させる糸口になるのでは?
いや、これもズルできるな。個性までは出せないかもしれない。

でも、「心の思うままに」よりは、「自分」に「分け入る」手段になるんじゃないかな。
とっかかりを、具体的にすると言うこと。

国語の先生は文学を知っている。
とっかかりを具体的にしてしまうと、「翼」を持っている子のそれを折りかねないと思うのかもしれない。
僕はそう思う。怖い。
大人になってから、僕は国語の先生を尊敬(真底ビビる)ことになりました。(特に高校の正木先生)。
でも、「文章表現」ってまず最初に「客観的な技術」であって、「アート」ではない。
いや、ある域に踏み入れば然るべく「アート」になるんだけど、
パラレルに「客観的な技術」の部分は大きいと思う。
いかなる「作文」も、「相手に伝える」という機能をもたなくてはいけないから。
伝える要素が、読者(ターゲット)に届かなければ意味がない。 
届かないのは「読者がバカだから」じゃダメだ。

もちろん作家は、迎合しすぎてもダメ。
そんなこと、言われるまでもない。
するわけがない。
それはその人の生き様をかけた「アート」だから。

話を変えよう。
僕は運動音痴で、まかり間違っても野球なんか出来ない。
キャチボールも出来ないんだから、チームプレイなんて……参加できない。

が、運動神経がイイ子も、野球が好きな子も知っている。
すごく根底に、素振りやキャッチボール をコツコツしている。
スキだからかもしれないし、上手くなりたいからと(イヤイヤでも)努力しているのかもしれない。
その「技術」一つ一つか、仲間との最低必要限度のコミュニケーションになっている。
やっていないヤツは判る、そういう世界だから。

そういう子達が集まって、(キレイゴトじゃなく)切磋琢磨して、
チームプレイが初めて産まれる。
そういうチーム同士が「プレイ」をして「試合」になる。
それは、彼らを侮辱せずに表現できるのであれば「アート」なんだと、僕は感じます。

小中学校で教える「作文」は、「素振り」であり「キャッチボール」からから始めるべきではないのかな。
これは「アート」ではなく「技術」です。
技術は、「目的」「結果」に指向する「過程」。

あ、論点が狂ったかも。(上の行を書いてから、5分ほど考え込んだ)

「読書感想文」には「感動」を表出する事が最優先だったかも。

「作文」はまず最初に「技術」だと思う。(やっぱりそう思う)
「読書感想文」は、さらに、その先に「感動」を伝える課題だったのかも。
いやただ単に、「読んで感動して欲しい」という、
読書家(国語の先生)の切なる願いなのか。

僕の小中学校で、「粗筋」で宿題が通ったのはそういうことだったのか……。

(子供が寝返り打って、それを眺めてさらに十数分想いを漂わせた)

「本を読んで欲しい」

「マンガ」じゃない。運が良ければ挿絵がわずかにあるぐらいの、
活字だけで(「活字」って文字がノスタルジー!)

ああ、知ったかぶりで、僕がブログに書くこともなかった……。
「本」の面白さを知ってもらう方法。
「本」の面白さを知っている人は、みんなぶつかっている。

僕は、紛れもなく、このエントリーを自分の娘に書いている。
教えられるのか?

ここまで書いて、やっぱり思った。
まず、「作文」は 「技術」だと。

「読書感想文」は
・「感想」を伝える技術(先生は当てにしていないのかもしれないが)と
・「本」の楽しさ・価値をただ単に生徒に伝える課題なのだとしたら、

「感想文」と
「読書」
課題の出し方が、どうなのか。

僕は、娘に、「本」を教えられるのか?

(さらに数分、HALの寝姿を眺めた)

いや、僕は、誰からも教えられなかった。
僕は、自分で知ったのだ。「本」の面白さを。

「本」を教えてくれた人は、何人もいた。
でも、「読んだ」のは僕だ。
(ファンタジーだった。SFだった。やがて境界のないことに気がついた)

切っ掛けをあれこれ大人が考えても、
進むのはおまえだ、HAL。

「技術」と「アート」
教えられるのは「技術」だけ。
「アート」は、「勝手にしやがれ!」

「アート」といっても、すべからずアーティストが「ゴッホ」のようになる訳じゃない。
「日常」にも、誰もが何度も行った「普通」のことにも、
君の心の中で「あ、これ面白い!」って感じたことが、
君の中での「初めて」「異質」「独自性」であり、
君の「アート」だ。

「普通」であることを、恥じるな!
それを重ねていけば、「普通の一般常識」の「脆弱性」があっさり見えてくる。
君の「唯一無二」なる君自身の「存在」が見えてくる。
そこに、 君がいるべき、必要とされている(ささやかでも)「場所」が見えてくる。

その時、君は「アート」の深い湖の畔に立っている。
案外、持っていて損がないのは、ツール=「技術」じゃ、ないかい?

……これ、HALにじゃなく、僕に書いてる?

いくつものカリキュラムを「読書感想文」という宿題でまとめようとしていることにムリがあるのかも。
きちんと切り分けが必要だな。

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コメント

  1. まさ吉 より:

    引っ越し後、初書き込みです。読感(朝のTV、はなまるで読書感想文を略して言ってた)はいつも後書きを見て書いてた1人です。確かに人に勧める理由、勧めない理由で書くのがいいと実感しました。同じように絵のかき方も習ってないのに絵の宿題が出るのも嫌でした。久々に文章を見てなるほどと思いました。30年前に(もっと前?)に教えて欲しかったな~。

  2. nosaku より:

    コメントありがとうございます!
    今は、「読感」っていうんですか 😯
    僕らの頃は、作文も絵画も精神論メインだった気がします。
    いや、もっとちゃんといろんな事を教えてくれていたのに、
    聞いてなかっただけかなぁ 😉
    年取っても、いまだに感想文のことを考えたりするのだから、
    そうとう「夏休みの宿題」ってトラウマになってます 😆

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